![]() 2001年12月30日、今治市きら病院横の海舟(かいせん)亭で、恒例の同級会が18時より 行われた。出席者は、池内、小沢(鎌田)、越智偉、柏木、菅雅博、武田公治、羽倉、村上篤信、 村瀬(小田)、柳瀬、矢野、山岡、吉武の面々。池内君からHR日誌が出てきて、私は失念、ど こへしまいこんだかと探しまわったので、安心した。皆元気。篤信君が、私を往診すると宣言、 (早速に1月に来ていただいて、採血、腫瘍マーカー値が正常で、女房は大安心)、大事件も起 こらず、無事閉会。二次会は、近くの、「神戸葡萄酒クラブ」で、さらに、話が続いた。 クラスメイトの消息(年賀状が西村君(所在不明)を除いてあと全員から来たのに感激)
柏木 正君 昨年9月にE−mailで、教授になったことが知らされた。めでたい。 私の近況 前述のように6月17日で、満69歳になった。血液成分検査では、限界値の前後(薬のお蔭 か?)なれども、体調は、以前に比較して、格段におかしくなったように思う。今年1月2日、 宇和島での大雪の宇和島東高最後の担任HRの会は、それほど体に応えなかった。2月から後、 運動しなかったのが、悪かった。1日中、家から外出せず、体に負荷をかけないので、 体重85 -- 6キロが、下肢の筋肉に痛みをもたらす。7月中旬から、二階に本拠を移し、 トイレに通う ことからでも(排泄に関しては、私は鳥である。読書の回数は増え、ページは進めども、映画1 本が、座って見れなくなったら、どうしようと心配である)、階段の上がり下がりで、足を鍛え ねばなるまいか。深夜、眠れぬままに、物を食い、酒を、ほどほどに飲むことで、目方の減る可 能性は更に少ない。リハビリも通うのを時間の余裕がないので、止めてしまった。5月、眼科で 視野検査をすると、一部に欠損があり、眼圧を下げる目薬を、真面目にさしている。薬の名は、 「デタンドール0.01%点眼薬」、眼圧は20近くあり、緑内障にならないようにとのこと。視力 は、0.6位に裸眼でなり、道で会っても、失礼に及ぶかもしれない。篤信君に紹介してもらった 片木脳外科で、MRI を受け(眼の血管を中心に)、8/19に脳の血管を診てもらうことになってい る。眼の血管は、特に異常なし。「ユリノーム」「コニール」「ストガー」は、1日に1錠宛服 む。近頃、血圧がちと高くなったのは、サッカーのせい? 納豆は朝晩1包み食べるのは、食べ 過ぎか? ヒトは60を越えると、80位までは、生きるよし。'Sweet death'の表現良し。
7/6宇和島東高最初の担任HR在関東居住者が、熱海で古希を祝う会、8/16今西28
期同窓会(32期も同日・同会場)、10/12宇和島東高の2度目のHRのクラス会が松山で
、11/9に私の中学同期会が行われることになっている。全部出席するつもり。公の会は、で
きるだけ出ず(老人が、若い者の邪魔をするのは、鈴木宗男のように、醜い)、教え子の招きに
はできるだけ応ずるのが、元教師の務めと心得ているが、近頃の体力では、日々、機械の如く、
規則正しく暮らすのが、他人に迷惑を掛けない、老人の生活方法かもしれぬと、思いはじめた。
年金は、もとより、若い人達のお蔭と、分かっているつもりだが、長生きしすぎて、負担をかけ
るのは、考えものである。年金生活者の中に、納めた金を長生きして、全部もらうためと、仰る
方がおられるが、わたしは、そういう勇気はない。貰えるものを、出来るだけもらうので、よろ
しいだろうかと、近頃は、考えること多い。
遊牧民から見た世界史 民族も国境も越えて 杉山正明 日本経済新聞社
養老孟司のもの、河合隼雄のもの、など、日経・読売・サライ・婦人公論の書評をみて、面
白そうなのを、買ってみる。英語の新刊書など、この10年以上買わず、英文科を出たのか? 例により、様々な情報知らせてくれると有り難い。また、会う日まで。 2002年7月
|
![]() |